アイヌ工芸作家に出会う① :間宮喜代子さん

今回は、「マミヤブルー」で知られるアイヌ刺しゅう作家の間宮喜代子さんに会いに行ってきました。

この日は、北海道アイヌ協会主催の北海道アイヌ伝統工芸展で、アイヌ刺しゅう体験の講師をしていた間宮さん。


Interview

マミヤブルーとエタㇻカ

間宮さん『この作品では、微妙に違う色合いの3種類のブルーを使っています。真ん中のエタㇻカ(蜘蛛の巣のような刺しゅう技法)の部分は、アメリカ産のオリンパスの糸で、光沢を出しています。』

間宮さん『エタㇻカっていうのは、ネットメロンとか蜘蛛の巣とも呼ばれます。アイヌ語では「デタラメ」という意味だそうですが、針をあちこちに出すから、そう呼ばれたんでしょうね。でも、本当にデタラメに縫っているわけじゃないんですよ。』

間宮さん『私も、初めてアイヌ刺しゅうを始めた頃は、「なんか、エタㇻカっていいな。」と思いながらも、難しいからやらないでいたんです。たまに試しても、うまくいかなくて…自然なデタラメにならず、同じ方向に行ってしまったり。真剣になればなるほど、ダメになるんです。こういうのは、見て覚えないとダメだなと思って、先生の作品をよく見るようにしました。』

アイヌ刺しゅう作家 北海道アイヌ協会優秀工芸師 間宮喜代子さん(石狩市在住)
制作中の作品をお見せくださいました(インタビュー時)
「マミヤブルー」と呼ばれる青色を多用した間宮さんのアイヌ刺しゅう作品

三上マリ子先生との出会い

間宮さん『30歳の頃、白糠から石狩に引っ越してきました。その時、三上マリ子先生の機動訓練の4期生として、3ヶ月間のコースに通い始めたのが始まりです。毎日、冬の1月から3月まで、札幌の白石区の生活館(現在の公民館)に通いました。マタンプㇱ、脚絆、手甲、モウㇽ、レクトゥンペなどの伝統装身具を作り、最後に着物を作りました。その時に先生に言われた「ときどき休んで、遠くを見なさい。窓のそばで縫い物をするなら、空を見なさい。」と言われた言葉は、今も守っています。おかげで、75歳の今も、眼鏡をかけていないんですよ。』

間宮さん『母親からは、一切習っていません。でも、私が15~6歳のとき、阿寒湖の叔母の家に住み込んで、半年ほど食堂で働いていたことがあったんです。その時に叔母が、着物にアイヌ刺しゅうの文様を描くのを見たことがあるんですが、製図もなしに、絵を片半分にブワーッと描くんです。それから、定規もなしに、手で測りながら、もう半分に左右対称に写していく。私も遊び程度にビロードのマタンプㇱなんかを作りましたが、その時はまさか自分が30歳でアイヌ刺しゅうを習うことになるなんて、思ってもいませんでした。でもずっと後になって、叔母が80年前に作った着物を見本にして、大きなタペストリーを作りましたよ。その作品は、白糠アイヌミュージアム「ポコㇿ」に、飾られていると思います。』

伝統が教えてくれる、自由なデザイン

間宮さん『着物、手甲、脚絆などの伝統的なものは、崩しちゃいけないと思っています。だから間違えて縫えば、全部ほぐしてやり直します。逆に、タペストリーなどは、昔の製図を今風に変えることもあります。ふっと街中で見た文様を、家に帰って何度も描いて自分の文様をデザインすることもあります。中でも三上先生に習った製図は、私にとって失くすことのできない、大切な文様として今でも使わせて頂いています。』

間宮さん『例えば、大きい文様を小さくしたり、その反対に大きくしたり。左右対称に倒してくっつけてみたり、同じ文様を反復したりすれば、だんだんと大きくなるでしょう?でも、同じく描いても、ズレてくるものです。元の文様とは、違ってくるんです。昔の着物を見たら、一番分かります。手ぬぐいをハギレとして使って着物に縫い付けたり、赤い実をつぶして赤色を出したりもしています。そうやって自由な工夫をすることも、昔のものが教えてくれることがあるんですよ。』

アイヌ刺しゅう作家 北海道アイヌ協会優秀工芸師 間宮喜代子さん(石狩市在住)
間宮喜代子さんのアイヌ刺しゅう作品

故郷・白糠とのつながり

間宮さん『ミュージアムにはチセ(伝統家屋)などを再現した展示があり、ありがたいことに、私の作品コーナーも作っていただきました。着物やタペストリー、小物などの作品を買うこともできます。白糠は海沿いの美しい町で、毎年アイヌ刺しゅう体験の講師に呼んでいただいているんです。石狩から帰るときは、汽車の中で寝ないで、いつも海を見ています。車でも、高速ではなく、わざわざ海沿いの道路を行くんです。』

北海道アイヌ協会の優秀工芸師として

間宮さん『そうなんです。1993年に優秀賞、1998年と2002年に最優秀賞を受賞して、優秀工芸師に認定されました。でも、はじめは入賞さえしなくって、「作品展に出すのは、もうやめる」と夫に言ったんです。夫は闘病中だったんですが、「わかった。でも、もう一回だけやってみて、ダメだったら、その時はやめたらいい。」って言って、製図をしてくれたんです。だから、これが最後のつもりで応募しました。そしたら、その作品が奨励賞に入賞したので、それからも頑張って応募し続けました。それから10年くらいは、奨励賞どまりでしたけどね。でも、夫のあの言葉がなければ、きっともう、アイヌ刺しゅうはやっていなかったかもしれません。』

作:間宮喜代子さん

 ※写真は全てご本人の許可を得て撮影・掲載しました


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